君がくれるものであれば、
なんでも、なんて
014:触れられるものは棘しかなく
静かな部屋に筆の滑る微音が消えていく。墨を使うから書き終えたそばから放り出されていく。乱暴なのではなく乾燥も兼ねているのだ。急ぎのものはすぐに保護紙を噛ませて巻き取り、封印をする。衝立のように積まれた書類の後ろから細くて白い手が一定の間隔で書類を放る。氷輪丸が拾っては綴じるなりまとめるなりしていく。処理済みのものを小卓へ並べる。急ぎであれば相手のほうから取りに来る。氷輪丸はこの団体の面子に詳しくないから配りに行っても惑うばかりで話にならない。氷輪丸の主である日番谷は団体で高位の隊長格であるがそれ故に処理するべき書類が多くて配り手に回る余裕はない。最終的に承諾をしなければならない隊長がホイホイ出かけては処理待ちの書類が溜まるばかりだ。結果として時期を見計らった相手側が回収に来るのを待つしかない。
一連の騒ぎではからずも実体化の要領を覚えてしまってからは雑用だ。氷輪丸は使われることに対してなんの感慨もないのだが持ち主である日番谷がしきりに詫びる。その詫びにどうしたら好いか判らない氷輪丸が黙ってしまいその話題は消えていく。それでも事あるごとに疲れていないか障りはないかと気遣われて申し訳なくさえある。そう言うのが持ち主の日番谷であってもだ。彼はまだ幼く、少なくともそう見えるだけの身なりだ。成人男性の身なりの自分が子供に気遣われるのは外聞が悪かろうと思って、大丈夫だ、主こそ忙しくしているが、という問答を繰り返すハメになる。問いに問いで返すのを日番谷は渋面で聞き、黙りこむ。話題は切れて沈黙が降りるだけだ。
平素であれば副隊長がやるべき仕事を氷輪丸がやっている。手持ち無沙汰に茶を淹れる氷輪丸に副隊長はあっさりと席を譲ってしまった。時間がかかりそうだからヨロシク。と言われたそばから引っ張られて耳元に囁かれた。たまにはさぁ、発散も必要でしょ? なんの発散かは聞いていない。我で出来るかと訊いたら具合によるんじゃないと言われてそれきりだ。彼女は相棒の猫を引っ張って出て行く。年齢で諍っても好みが似ているらしくて和解も早い。上機嫌で出かける女二人を見送って具合とはなんの具合であろうかと考えこんだ。その間にも書類が降るから考えるのをやめて茶を入れたり処理をしたりと忙しく過ごした。
肌へ刺さるような脚線を感じながら知らぬげに巻物を巻き取っていく。反物のようにするする滑る紙や保護紙で指先に切れが奔る。氷輪丸の指先は薄氷であるから痛みは感じない。爪先ほどの剥離も感じない。
「氷輪丸」
戦闘中に能力の呼び水としてかけられる声とは驚くほど違う。この声を聞く度に額ずいてしまいそうになる。丁寧に巻きとって組紐で封をする。番号を冠する隊印の確認もした。その動作を凝視されてたまらず顔を上げれば理知的で利かん気の強い顔が氷輪丸を見据えている。白銀の髪は短く跳ねて額やうなじを顕にしている。碧い双眸は大きく眦を切り開き、表情豊かにひらめいた。
「主」
なにか滞りでもあるかと立ち上がるのを日番谷は仕草だけで抑える。
「その仕事は松本がやることだ。お前がやるんじゃねぇ」
良かれと思ったことを咎められて氷輪丸の気がしぼむ。腰部から生えた尻尾が力なく脚へ絡んだ。先端は氷をまとっているから小卓や応接の椅子の脚へ当たって硬質な音を立てる。松本というのが氷輪丸に囁いて猫を連れて飛び出してしまった彼女のことだと判る。
「だが主、彼女の帰りを待っては」
「それも含めて叱りつけるのが俺の役目だ。お前が尻を拭ってどうするって言ってるんだ。心構えの問題だ」
言われてしまえば氷輪丸に出来る仕事など茶を淹れることくらいだ。その仕事さえ氷で包まれた指や手でやれば満足には行かない。丹精込めて淹れた茶に不思議そうな顔をされて、その原因が微温さだと気づいた時に愕然とした。氷雪系最強である威力は四肢にさえ及んでいて、氷輪丸の指はことごとく熱いものを冷ましてしまった。熱い茶も淹れられないのだと己の至らなさに力が抜けた。日番谷が怒りも咎めもしなかったのが余計に気をくじいた。
目を伏せて黙る氷輪丸に日番谷は頬杖をついた。書類の山が減って日番谷の動きが見える。海藍の双眸が痛い。後ずさるのを日番谷は視線だけで止める。おい、後ろ気をつけろ。言われた瞬間に氷輪丸の視界が反転した。唐突な足場の喪失と膕や踵に感じる硬さが痛い。背中から落ちたのは長椅子の上で、緩衝材で包まれているから怪我や痛みはなかった。情けなさばかりが募る。のそりと起き出そうとするのに跳ね上がった足や尻尾が邪魔をする。ばたばたもがくのを日番谷は黙って見つめるだけだ。手助けが自尊心を傷つけると知っていて、そこまで知れていることが恥だ。地面へ垂れる長さの裾をさばききれない。もがく脚に裾が絡む。
「落ち着け」
溜め息と同時に吐き出された言葉にますますしおれた。身動きを取るのをやめて長椅子に体を沈めた。長く豊かな髪が垂れるのが恨めしかった。碧い艶の髪が垂氷のように床へ溜まる。
「主、我に……失望した、か?」
反旗を翻した折には忘我と忘却に翻弄され、再度額ずくと決めてなお満足な仕事ができない。せめてと思って手を出した雑用さえ要らぬと言われて存在意義の危機だ。日番谷が美貌の少年であり、自分の顔には隠しようもない傷があることも傷を膿ませた。氷輪丸は傷を恥じたことはないがそれでも自慢にするほどの図々しさもない。ごまかすことさえ出来ぬ位置であるから受け入れるしか道がない。
「…お前、勘違いしてんな」
「なに、を」
帯が緩んで衿が肌蹴た。鎖骨や胸郭が顕になるのを見て日番谷が眉を寄せる。慌てて衿を直しても弛んだ服は留まらない。すぐさまべろりと開いてしまうそれには帯を解くしかない。
席を立った日番谷が氷輪丸のもとへ歩み寄る。すごい格好だな。留紐を解いた刀ががしゃりと放られる。それが己の末路なのだと思っていたたまれない。
「もう少し上にずれろ」
体裁なくもがいてずれると日番谷はその隙間へ割り込もうとする。退こうと思う氷輪丸の上に日番谷が覆いかぶさった。
「髪が、長いな」
梳いていたかと思えば思い切り引っ張る。攣るほど痛いが氷輪丸は日番谷を止めなかった。
「あるじ」
気に食わぬなら切り落とされてもいい。髪が長いことにこだわりはないから刈られても良かった。
「殊勝じゃねぇか。人のことを小僧呼ばわりしてくれて」
実体化した折に氷輪丸は持ち主の情報を一切なくした。だから日番谷が目の前に立ってもなお己の力を使役する持ち主だとは思わなかった。他のものが抱くほどの持ち主に対する思い入れが薄くて、その薄情さは今になって傷になる。日番谷はそこには触れず、その優しさが却って傷を深める。だからこそ気を砕くのに裏目裏目に出てこうして日番谷の怒りを買っている。至らなさと情けなさに涙さえ零れそうだ。
日番谷の小ぶりな繊手が氷輪丸の胸部を這う。冷たいな。氷には慣れてるつもりなんだけどな。
「霊圧を加減しろ。人が来る」
びくりと震えて椅子や小卓の脚が凍りついていることに気づいた。慌てて息を整えようとするのを嘲笑うように日番谷の手が合わせの隙間から入り込む。日番谷の手は子供っぽく温かい。氷を拠り所にする以上溶解は恐怖だ。ある程度完成された力であるから容易には融けぬと思っても拭い切れない懸念が恐ろしい。最強と謳われてもそれはひどく脆い。不安に揺れる気持ちに尻尾がぴしりぴしりと床や椅子を打つ。
「尻尾が邪魔だ」
日番谷の手が裾を割って膝を掴む。氷に覆われて冷たかろうと思うのに日番谷は躊躇もしない。膝や脛を顕にしている格好に羞恥が募る。尻尾が脚の間を隠すように裾を押しやって巻いてしまう。日番谷の口元がひととき弛む。
「邪魔だって言ってんだろ。どけろ」
あっさりと払われて為す術なく氷輪丸が仰臥する。背丈がいくらも違う子供に腹を晒していると思うのに抵抗はない。従うと決めた以上、氷輪丸の側に異論はない。命じられれば刀身を舐る。
「…主。そ、の…我は、その」
交渉の経験が、ない。胎内の様子も結果もわからない。制御がなくなれば辺りを凍らせてしまう体であれば、呑み込んだ刀身がもげてしまっては困ろうと思う。
「じゃあ指でも突っ込むか?」
逃げられると思うなよ。紺碧の双眸に尻尾が慄えた。びん、と強く尻尾を引っ張られて悲鳴が上がる。ぴくぴく震えてしまう脚や体を圧して日番谷は脚の間へ位置をとる。
「尻尾、感じるのか?」
「あ、主、待て、ま…――ッ…」
先端の凍った部分を舐められて融けるように解放される。溢れた体液が何であるか知覚する暇がなかった。
「随分無防備な性感帯じゃねぇか」
日番谷が乱暴に尻尾を引っ張ってはねじりあげる。その度に氷輪丸が悲鳴を上げた。目が潤むのも涎が垂れるのも意識する前に灼き切れる。脚の間がグズグズに崩れた。膝を屈するということを明確にされるだけで氷輪丸の体はたやすく崩壊する。仰け反って四肢を突っ張っても切り込む刀身を拒むことさえ出来ない。
「は…――ッ…か、は、ぁ…」
「大丈夫そうだな」
氷輪丸の能力も拙く作られた体でさえもが日番谷の支配を受け入れている。だらしなく開きっぱなしの口元を覆いたい手はあっさり払われる。
「見せろ」
顔の中心に奔る傷が痛んだ。目を閉じたくなるのを日番谷は赦さない。眇めるだけでも腰を揺すられて起きろと言われる。
「泣き顔を、見せろ」
「――ッ! ぁ、あ…――…」
小柄な日番谷を押しのけるのはわけない。だがそれは解決にはならない。氷輪丸が日番谷に額ずくと決めたのだ。慄える喉を痙攣させて氷輪丸は日番谷の幼い顔を見つめた。
刹那、日番谷の顔に疾走ったのは怒りだった。
「お前、俺を子供だと思ってんな」
飲み込めなかった氷輪丸の反応が遅れた。引きちぎる強さで髪を引っ張られて事態の深刻さを知った。あるじ? 子供の我儘に付き合ってやってるってか? 地を這う声の低さは年齢というより怒りの度合いだ。日番谷は獣のように喉をうならせて氷輪丸を睨みつける。
「主? ――ご、かいだ!」
喉を掴まれて長椅子へ押し付けられる。息が詰まる。四肢が痙攣的に慄えた。日番谷は片手で氷輪丸の帯を解いた。顕になる体から衣服は水瀬のように滑り落ちて肌を見せる。氷輪丸の緊張で四肢や床が凍り始める。ぱきき、と割れる音がした。日番谷は氷輪丸を執拗に責めた。子供だと思ってる。やり過ごせばいいと思ってる。俺を、なめてる。その度に氷輪丸は詫びた。氷輪丸に日番谷を軽んじるつもりはなかったし、今もない。己が膝を屈すると決めた相手が弱いなどとは思わない。それでも日番谷は納得しない。脚を開け。突きつけられた言葉に愕然とした。日番谷の刀身はまだ氷輪丸の胎内だ。俺を男として認めるなら俺を男として悦ばせてみろ。唐突な閨の相手に氷輪丸が怯んだ。
「できないか?」
氷輪丸はこわばりを無理やり解くと、日番谷に奉仕した。融けて消えてしまいたかった。
《了》